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イアン・マクドナルド(Ian McDonald、1946年6月25日 - )はイギリスのロック・ミュージシャン。サックス、フルート、キーボード、ヴィブラフォーンをこなすマルチプレイヤー。キング・クリムゾンやフォリナーでの活動が有名。 == 来歴 == ミドルセックス生まれ。元フェアポート・コンヴェンションの女性ヴォーカリスト、ジュディ・ダイブルと知り合った後、ジュディと共にジャイルズ、ジャイルズ&フリップと合流。その後、ジュディやピーター・ジャイルズの脱退を経て、イアン、ロバート・フリップ(ギター)、グレッグ・レイク(ベース、ヴォーカル)、マイケル・ジャイルズ(ドラムス)、イアンの友人であるピート・シンフィールド(作詞、照明)という初期のラインナップが揃う。バンド名もキング・クリムゾンとなった。 1969年7月、キング・クリムゾンはローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ追悼興業ハイドパーク・フリーコンサートで前座を務め話題となった後、プログレッシヴ・ロック史に残るデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』を発表。イアンは作曲面で最も大きく貢献し、また、「21世紀のスキッツォイド・マン」で畳みかけるサックス、「風に語りて」で優しく奏でられるフルート、「エピタフ」で荘厳に響くメロトロンといった具合に、マルチプレイヤーとしての資質を全開させた。しかし、1969年末にはマイケル・ジャイルズともどもバンドを脱退し、マクドナルド&ジャイルズを結成。アルバムを1枚発表するも恋人との別離後精神療養の為に渡米してしまい、マクドナルド&ジャイルズは消滅してしまった。 その後しばらくはセッション・プレイヤーや音楽プロデューサーとして活動。特に、治療から帰国直後最初にレコーディング参加したT・レックスの大ヒット作『電気の武者』(1971年)でサックスを吹いたことは有名。キング・クリムゾンの『レッド』(1974年)にもジョン・ウェットンの招きでゲスト参加している。プロデューサーとしては、ダリル・ウェイズ・ウルフ『カニス・ループス』(1973年)やフループ『Modern Masquerades』(1975年)、ファイアーバレー(Fireballet)の『Night On Bald Mountain』(1975年)、等を手がけた。 1977年、英米混成バンドのフォリナーを結成してデビュー。商業的成功にも恵まれるが、アルバム3枚で脱退。 1996年末、スティーヴ・ハケットの来日公演に帯同。「クリムゾン・キングの宮殿」や「風に語りて」も演奏された。 1999年、初のソロ・アルバム『ドライバーズ・アイズ』を発表。スティーヴ・ハケット、ジョン・ウェットン、ゲイリー・ブルッカー、ピーター・フランプトンなどの豪華ゲストを迎え、ポップでありつつもプログレッシブ・ロック色も感じさせる作品となった。 その後、キング・クリムゾンの元メンバー達と21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドを結成し、ライヴ活動を行っていたが、ドラマー・イアン・ウォーレスの病死により、2007年以降バンドは活動を停止している。 2015年にはHoney Westというバンドに参加しニューヨークでライブ活動を行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イアン・マクドナルド (ミュージシャン)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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